歴史
2005年7月13日(水)UEFAカップは、スイスのエルンスト・トーメン氏のアイデアから生まれた大会。トーメン氏は、イタリアのオットリーノ・バラージ氏(両氏は共に後のFIFA副会長)、イングランドのスタンリー・ラウス氏(後のFIFA会長)と共に、定期的に産業見本市を開催する欧州各都市の選抜チーム同士による大会、インターシティーズ・フェアーズカップを創設した。
前身
UEFAカップの前身となったこのインターシティーズ・フェアーズカップが誕生したのは、1955年4月18日。欧州チャンピオンズカップの創設から2週間後のことだった。最初の大会にはバルセロナ、バーゼル、バーミンガム、コペンハーゲン、フランクフルト、ローザンヌ、ライプチヒ、ロンドン、ミラノ、ザグレブの選抜チームが参加。大会は3年間にわたって行われ、産業見本市に合わせて試合が開催された。決勝では、FCバルセロナの選手だけで編成されたバルセロナ選抜チームが、ロンドン選抜を2試合合計得点8-2で破った。
クラブの参加
第2回大会ではクラブ大会に変更されたが、産業見本市開催都市を参加資格とすることに変わりはなかった。1958年から1960年にかけて行われたこの大会には、16チームが出場。その後は、毎年開催されることになった。出場クラブ数は、1962年の段階で32クラブにまで増えた。現在では100を超えるクラブが参加。大会初期には、南欧のクラブが圧倒的な力を見せていた。中でもバルセロナは3回、バレンシアCFは2回、大会を制覇している。1968年には、リーズ・ユナイテッドAFCが欧州北部のクラブとして初めて優勝を飾り、以後、イングランドのクラブが6回連続で優勝した。
名称変更
その5回目に当たるのが、トッテナム・ホットスパーFCの優勝で終わった1971-72シーズンの大会。これが、UEFAカップの名称で開催された初めての大会でもある。この名称変更は、大会の運営主体がUEFAに変わり、産業見本市との関係がなくなったことを示すものだった。1970年代に入ると、ドイツ、オランダ、ベルギー、スウェーデンのクラブが、イングランド勢としのぎを削り始める。1968年から1984年までは北部勢の天下となり、その牙城を崩すことに成功した南欧のクラブは、1977年に優勝したユベントスFCだけだった。
イタリア勢の成功
しかし、1980年代半ばにレアル・マドリーCFが2連覇を達成すると、1990年代にはイタリア勢が大会を席巻する。1989年のSSCナポリを皮切りに、イタリアのクラブは、ガラタサライSKがトルコ勢として初めて欧州カップ戦のタイトルを獲得する2000年までの11シーズンで8回にわたり、UEFAカップを制覇した。FCインテル・ミラノに至っては、この間に3度も優勝に輝いている。UEFAカップの決勝は、1964年と1965年以外、準決勝までのラウンドと同様に2試合で決着を付けていた。しかし1998年に、1試合で勝敗を決する方式へと変更された。その年の決勝は、パリのパルク・デ・プランスで行われ、インテルがS.S.ラツィオに3-0と勝利した。インテルの通算優勝回数は3回。ユベントス、リバプールと並んで最多となっている。
大会の統合
1999-2000シーズンからは、UEFAカップウィナーズカップが廃止されたため、国内カップ戦の優勝クラブもUEFAカップに出場できるようになった。加えて、UEFAチャンピオンズリーグの予選3回戦で敗退したクラブと、その後のグループリーグで3位となった8チームも参戦。その他、フェアプレー枠の3チーム、UEFAインタートトカップを制した3チーム、そして一部の国内リーグカップ覇者も出場する大会となった。2004-05シーズンには、初めてグループリーグが導入された。
ベルトーニ工房製のトロフィー
重さ15キロで、黄色の大理石の台座に置かれる銀製のトロフィーは、1972年の決勝を前に2万3,000ユーロ(現在の換算レートで約310万円)で作られたもの。デザインと制作は、ミラノのベルトーニ工房が担当した。取っ手は付いておらず、そのシンプルさの中に美しさがある。台座のすぐ上にあるのは、選手たちの像。ボールを取り合っているようにも見えるが、実はUEFAの紋章で飾った8角形のカップを支えている。
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