エディン・ジェコの実績

“ボスニアのダイヤモンド”とも称されるエディン・ジェコは、ローマに移籍して以来、セリエAで再びその才能を開花させているが、これまでの得点記録を見るだけでも、特別な選手であることは十分にわかる。

Edin Džeko (Roma)
©AFP/Getty Images

母国で“ボスニアのダイヤモンド”と称えられるエディ・ジェコは、長い間交代要員としの起用が多かったマンチェスター・シティーでの日々を経て、ローマに移籍。イタリアでの2シーズン目を迎え、輝きを放っている。だがこれも、この記事でUEFA.comがまとめている過去の実績を見れば当然のことだ。

評価
「エディンはストライカーとして、1ゴールだけで満足するわけにはいかないと自分に言い聞かせている。毎試合95分間にわたり全力でプレーしている。常にゴールを決められるわけではないが、それでもチームのために尽くし、さまざまな動きで貢献している」
昨季までマンチェスター・シティーを率いたマヌエル・ペレグリーニ氏

「監督が自分の好きなようにストライカーを作れるなら、私はジェコのような選手を作りたいね。身体が強く、背が高く、しかもスピードがあって競り合いも辞さない。闘争心があって優れたテクニックも兼ね備えている」
ローマのルチアーノ・スパレッティ監督

Watch five goals from Edin Džeko
ジェコのベストゴール5選

「ボールの扱いは本当にへたくそだが、ゴールを決める才能は一級品だ」
ロックバンド、オアシスのソングライターでマンチェスター・シティーのファンとしても知られるノエル・ギャラガー

「エディンは欧州でも最高のストライカーだ。見ればわかる。イブラヒモビッチより上だね」
スイス、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナで代表監督を務めたミロススラフ・ブラジェビッチ氏

「うまくいかなかった最初のシーズンが終わったあと、私がジェコはセリエAの得点王になるだろうと言ったら、イタリアのジャーナリストたちは何を言っているんだという顔をし、あざ笑う者までいた。今、この話を笑い飛ばす人がいるだろうか?」
ボスニア・ヘルツェゴビナ代表のメフメド・バジュダレビッチ監督

「私が初めて彼に会ったのは2003年、ジェリェズニチャルの監督に就任したときだった。当時、彼は17歳で、驚くべきことにまだ才能を誰にも見出されていなかった。でも、私は光るものがあると見抜いていたよ」
ジェリェズニチャルの元監督、イジー・プリシェク氏

現時点での実績
ボスニア・ヘルツェゴビナ代表:82試合、49得点
UEFA主催クラブ大会:68試合、22得点
国内リーグ、カップ戦:426試合、187得点

Džeko takes Crossbar Challenge
ジェコがクロスバーチャレンジに挑戦

栄光への道
ジェリェズニチャル
• 当初はMFとしてプレーし、2002-03シーズンにはこのサラエボのクラブでジュニア大会で優勝。ユースチームを率いていたユスフ・シェホビッチ氏は、当時のジェコについてこう振り返っている。「もちろん才能はあったが、それ以上に粘り強く努力する気持ちが目を引いたね。疑いもなく、偉大な選手になると信じていたし、今も誇らしく思っている。彼はあらゆる期待を上回ってくれた。まさに宝石のような存在だね」

• とはいえ、ジェリェズニチャルでの評価は決して高くなく、2005年に推定2万5000ユーロ(現在のレートで約310万円)でテプリツェに移籍が決まったときには、同クラブのあるディレクターが、「宝くじに当たったようなものだ」と述べたと伝えられている。

テプリツェ、ウスティ・ナド・ラベン(期限付き移籍)
期限付きで移籍したウスティ・ナド・ラベンでは15試合に出場し6ゴールをマークし、若手選手としてはまずまずの評価を得ると、次のシーズンは主にテプリツェで活躍。2006-07シーズンには13ゴールを挙げて得点ランキングで2位になり(得点王は16ゴールを挙げたムラダー・ボレスラフのルボツ・ペツカが獲得)、この活躍によりボルフスブルクへの移籍を勝ち取った。 

Grafite & Edin Džeko (VfL Wolfsburg)
ボルフスブルクではグラフィチと共にゴールを量産した©Getty Images

ボルフスブルク
• 当時のフェリックス・マガト監督のもとで鍛え上げられ(「今までなかったほどコンディションがいい」と、本人もコメントするほどだった)、ジェコ(26ゴール)とブラジル人グラフィチ(28ゴール)は合計で54ゴールをマーク。これを原動力に、ボルフスブルクは2008-09年のドイツ・ブンデスリーガを制した。この2人合わせて54ゴールという数字は、ゲルト・ミュラーとウリ・ヘーネスが1971-72シーズンにバイエルンで達成した53ゴールというドイツ1部リーグの記録を破るものとなった。

• ジェコはこのシーズン、ブンデスリーガの最優秀選手に選ばれ、ドイツカップでも6ゴールを挙げて得点王になった。

• 続く2009-10シーズンも22ゴールをマークしてブンデスリーガの得点王となった。さらに10アシストという数字は、チャンスがあればゴールを譲るジェコの心の広さを表すものだ。「点取り屋は自分勝手なものだが、エディン・ジェコは違う。彼にとって一番大切なのは、自分のチームが点を取ることだ」と、かつてジェリェズニチャルやユーゴスラビア代表でMFとして活躍したイビツァ・オシム氏もその献身性を高く評価している。

• 2011年にはマンチェスター・シティーへの移籍が決定。ボルフスブルクでは66ゴールを挙げ、クラブの通算得点記録を更新するとともに、UEFA主催クラブ大会でのゴール数もグラフィチと共に9得点でトップとなった。

Edin Dzeko (Manchester City FC)
2011-12シーズンにはシティーでタイトルを獲得©Getty Images

マンチェスター・シティー
• イングランド・プレミアリーグへ移籍した2011-12シーズン、ジェコは敵地ホワイト・ハート・レーンでのトッテナム・ホットスパー戦でシティーの選手としては初となる1試合4ゴールを記録。しかも両足と頭でそれぞれゴールを決める“パーフェクト・ハットトリック”を達成した。

• このシーズンのリーグ最終節、2-1と競り勝ったクイーンズ・パーク・レンジャーズ戦でネットを揺らし、シティーに44年ぶりのリーグタイトルをもたらした

• 2014年3月24日には、マンチェスター・ダービー史上2番目に速い開始45秒で得点。最速記録を持っているのはシティーのデニス・テュアートで、1975年11月12日に試合開始39秒でネットを揺らしている。

• ジェコはプレミアリーグでマンチェスター・ダービーに6回出場している。出場時間は合計わずか174分ながら4ゴールを挙げており、そのすべてがオールド・トラフォードでマークしたものだ。さらにコミュニティー・シールドでも1ゴール、ボルフスブルク時代にも2ゴールを挙げていることから、レッド・デビルズ(ユナイテッドの愛称)との試合では9試合で7回ネットを揺らしている。これを出場時間で割ると、63分に1ゴールという記録的なペースになる。

• 2015年にはイングランドの主要タイトルを総なめにした実績をひっさげてローマに移籍。シティーではプレミアリーグで2回(2011-12、2013-14シーズン)、FAカップ(2010-11シーズン)、リーグカップ(2013-14シーズン)、そしてシーズンの幕開けを告げるコミュニティ・シールド(2012年)で優勝を経験した。

Edin Džeko (Roma)
ローマでは在籍1年目の不振から見事に立ち直った©AFP/Getty Images

ローマ
• ローマ移籍後の1年目はセリエAで8ゴールにとどまったが、2シーズン目は開幕当初から本領を発揮し、10試合で10ゴールをマーク。これはローマの選手として、スクデットを獲得した2000-01シーズンのガブリエル・バティストゥータ以来となる快挙だった。

• 敵地で3-1と快勝した10月15日のナポリ戦で決めた1点目は、今シーズン通算6点目のゴール。このゴールにより、ダボル・シュケルが持っていたユーゴスラビア/旧ユーゴスラビア諸国出身選手の欧州5大リーグ(スペイン、イングランド、ドイツ、イタリア、フランス)最多得点記録(129ゴール)を塗り替えた。

ボスニア・ヘルツェゴビナ代表
• 2012年9月7日のリヒテンシュタイン戦でハットトリックを達成し、ズベズダン・ミシモビッチとエルビル・ボリッチをかわして歴代最多得点記録を塗り替えた。

• 2014年FIFAワールドカップ予選では10ゴールを挙げ、祖国を主要国際大会で初の本大会出場に導いている。

トリビア
• 幼少時代にはバルカン半島での紛争に翻弄された。「紛争が始まったときは6歳だった。恐ろしかったよ。家は破壊され、祖父を頼った。そこには親族が皆いて、15人ほどが35平米のマンションに暮らしていた。すごく大変だったよ。毎日のように知っている人が死んでつらかった。サッカー選手の多くは路上でボールを蹴り始めたけど、僕にはまだ無理だった。でも紛争が終わると、メンタルが以前よりずっと強くなっていた」

• MFとしては大柄で不器用とされ、ジェリェズニチャルでは大成せず。現地のスラングで街灯や標識の柱を意味する“クロツ”と呼ばれていた。

• ボルフスブルクのフェリックス・マガト監督(当時)は、スカウトの分析とビデオダイジェストだけを材料にジェコの獲得を決断した。

• サッカーだけでなく言語能力も高い。マンチェスター・シティーの一員としてビクトリア・プルゼニュと対戦するためチェコを訪れたときには、記者たちの質問に流暢なチェコ語で答えた。母国語に加えてドイツ語と英語も操り、イタリア語も少し話すことができる。

• 今でも母国とのつながりは強く、2014年3月31日に結婚したモデルの妻アムラ・シライジッチさんもボスニア人。2人の間には2016年2月に娘のウナちゃんが生まれている。引退後もイングランドにとどまるかと聞かれたジェコは、 「サッカーをやめたら絶対に母国へ戻る」と答えている。

• 現在はローマのために全力を尽くしているが、ボルフスブルク在籍時にはACミランを「夢のクラブ」とし、「いつかあそこでプレーしてみたい」と語っていた。一番好きな選手はアンドリー・シェフチェンコ。

Edin Džeko (Bosnia)
“ボスニアのダイヤモンド”は代表歴代最多得点記録を保持している©Getty Images

本人のコメント
「過去、そして今の僕がどんな人間であれ、何より重要なのは人間的な部分を失わないことだ。両親の育て方には感謝しているし、こういう考え方は家族から得たものだ」

「代表ではまだ何一つ達成できていない。僕らは今、ロシアでの2018 FIFAワールドカップ出場を目指して戦っているけど、EURO 2020を迎えるときにもまだ代表に残っていられることを願っているよ」

「僕は常にベストを尽くすようにしている。それで好結果を得られるときもあれば、得られないときもあるけど、決して諦めない。それは今後も変わらないね」

「ゴールを挙げることも僕の仕事だけど、それができなくても構わない。チームメートが決めてくれたら、自分が決めたときと同じように嬉しいよ」

「ドイツとイングランドではタイトルを獲得した。今度はイタリアで取る番だ」

これから達成が期待される記録
• 昨季、ゴンサロ・イグアインはナポリで36ゴールをマークし、セリエAのシーズン得点記録を更新した。ジェコは14試合を終えて12ゴールと、まったく同じペースで得点を重ねている。果たしてイグアインの記録を超えられるだろうか?

• ボスニア・ヘルツェゴビナ代表ではあと1ゴールを決めれば、代表通算50ゴールを達成した欧州で18人目の選手になれる。

• ワールドカップ予選であと4ゴールを決めれば、子供時代のアイドル、シェフチェンコが保持する欧州最多記録の26ゴールに並ぶ。

• 36歳の従兄エミル・スパヒッチが打ち立てたボスニア・ヘルツェゴビナ代表の最多出場記録93試合まであと11試合。この差を詰めることはできるだろうか?